カイロプラクティックの歴史
DANIEL DAVID PALMER D.D.パーマー 1845〜1913 |
D.D.パーマーはある日、入居していたビルの管理人であるハービー・リラードの脊柱(背骨)を注意深く観察していたところ、一つの椎骨(背骨の一つ一つの骨)が他の椎骨より変位していることに気づいた。 彼は本人の了承を得て、その変位している一つの椎骨を手によって正常と思われる位置に戻した。 すると17年間不自由だったハービーの耳に聴力が甦ったのであった。これがカイロプラクティック史の始まりである。 時に1895年、D.D.パーマー50才でのことであった。 |
《カイロプラクティック》という名称の誕生 |
1896年、D.D.パーマーは、患者の一人であるサミュエル・ウィードに、 この新しい治療法に名前を付けてくれるよう頼んだ。 彼は牧師でありギリシャ語の教師でもあったことから、 ギリシャ語で「Chier = Chiro = Hand = 手 Praktikos = Practic = Done = なされた」 手によってなされたという意味である「CHIROPRACTIC・カイロプラクティック」 という名前を付けたのであった。 |
BARTLET JOSHUA PALMER B.J.パーマー 1882〜1961 |
父、D.D.パーマーによって発見・発明されたカイロプラクティックは、息子であるB.J.パーマーのたゆまざる研究と臨床によって、さらに発展を見るようになる。 特に1930年には、「背骨全体の変位、および病気の原因は、上部頸椎の変位にある」とするH.I.O.学説を発表し大きな注目を集めた。 その後もその研究と実証は続けられ、没後は数少ないスペシフィック(上部頸椎専門)カイロプラクターによって継承、実践されている。 スペシフィック・カイロプラクティックのみならず、現在のカイロプラクティックの存在自体、彼なくして語ることはできない。 |